

名前:竹崎 弘重
昭和36年1月 中標津町生まれ
履歴: 中標津高校商業科卒業後、会社事務員として地元の会社に就職。しかし、思うところあり自衛隊に入隊。30才で任意除隊後、札幌市中の島にある自動車短期大学の夜学部へ通学、卒業後は整備士として、主に建設機械の整備に携わる。
この道を歩んだ理由:
少年時代の私は、運動が苦手でした。疲れやすく、走るのは遅く、長距離走ではすぐに息が上がり、自転車にもなかなか乗れず、キャッチボールもまともに出来ない運動オンチでした。
10歳ぐらいから、左足が右足と比べて 「重く感じる」という自覚があり、走るとき跳ぶときなどは、左脚を意識しなければならない状態。
でも、右足はそのような状態・感覚では無いのが不思議ではありましたが、物心が付いた時には、すでにそのような左右の身体の感覚なので、そして、その感覚は、他の子と比べようも無く、その状態に疑問を持ってはいませんでした。ただ単に、右利きだから左側の筋力が弱いのだと思っていました。それは自分にとっては当然の事であると思い込んでいました。
それが違うと悟ったのは、整備士となり札幌に住んでいた30代の頃。郵便受けに、「カイロプラクティック体験施術会」の案内チラシが入っていたので、興味本位で施術を受けたてからでした。
身体を捻じられあちこち押され、ボキボキッバキバキッとかなりの荒療治、それでもいくらかの爽快感はあり、「カイロプラクティックとはこのようなものか」と、当日は感じただけでした。しかし、驚いたのは翌日、会社の階段をいつものように上ったときの左足の軽さ。
羽が生えた様にとは、このような状態なのかと思うぐらい、左足がとても軽く、意識をしなくても右足と同じように上がるのです。しかも、以前からあった、つまるような背中の苦しさも消えて、いままでより深く楽に息が吸えるようなったのでした。
この感激は私にとっては相当なもので、今までの自分の身体の有り様が変わったのですから。しかし、喜びと同時に、この身体の状態がもっと以前から、子供の時代からであったなら、まったく違う人生があったろうにと、悔やみも湧いたものです。
それから紆余曲折あり、「カイロプラクティック療術」を仕事にしようと決め、カイロプラクティックを学ぶために札幌のある学校に学び、現在に至ります。
卒業時の知識・技術では不十分であるとの思いから各種セミナーや研修に学び、道東に住まわれる方々がより充実した健康生活が出来るようにと思いで施術をしています。